・メンバー募集中 & メンバー紹介
・どんぐり20年の戦績


多摩平「どんぐり」20周年によせて

監督     佐藤  正身


2000年の区切り佳い年に「どんぐり」20周年を迎えた。なんとも嬉しいことである。


私は「どんぐり」と口ずさむと、様々なことが走馬灯の如く、脳裏を去来する。子どもの「多摩平どんぐり」「どんぐりヤンガーズ」そしていまの「どんぐり」・・・。1974年8月。多摩平の公園で木の実子ども会の子を集め「シャツチーム」「はだかチーム」でボールを蹴ったのが事の始まりであった。いまとなれば、大それたことをしたものだと、しみじみ思う。当時、私も若く「地域に根づいた教育」などと、理念を掲げていた。
1990年の10周年は、社会教育センターで集いをもった。サッカー協会の方々や木の実子ども会世話人・OB、どんぐりのメンバーとその彼女たちであったと記憶している。その特、思いがけないこと感謝状をいただいた。私は、こんなものに縁のない人生を送っていた。感謝状に痛く感激した。その文が一風ふるっていた


先生は長年どんぐりの監督として或いは人生の良き相談相手として時には酒のみ友だちとして(歌うのはいつも野風僧)私たちと共に歩いてくれました。
こんな大変なことは佐藤先生以外に誰もできることではありません。いつまでも、元気な青春おやじでいてください。
1990、10  どんぐり一同


2 1990年からの10年、またよくもちこたえた。


10年目までは、市民大会2連覇、1部リーグ優勝6回、子どものチーム以来、市内で「どんぐり」ここにありと言われ、みんな若かった。この10年間はメンバーの入れ替わりが多く、またメンバーの私生活も大きな変動があった。
あたりまえの話である。20才半ばすぎの若者の多くは結婚し、子どもが産まれ、家庭ではよきパパであり、社会人としての責任が重くなった。人は年をとると体力が落ちる。自明の理である。

3 この10年間、どんぐりコロコロと1部より4部まで落ちてしまった。


監督として試合を観にいき、ハッパをかけてきた。が、1996年より2年半、1度も勝っていない。私は「やれるだけでいいではないか」と自分でなだめてきたが・・・ところが、昨年は2勝2分3敗だった。勝つと現金なものでメンバーの表情も活きいきとする。試合前「怪我だけはするなよ。後で美味い酒を呑もう」「監督も年をとると、優しくなる」といった余裕もでてきた。忘年会の酒は、勝った後だっただけに、実に美味かった。

メンバーの結婚を祝う会。家族ぐるみの五日市での忘年会。私も3度、仲人をやらせてもらい光栄であった。


20年間も本当によくぞ、どんぐりが”コロコロ”と転がってきたものだ。メンバーやその家族に感謝の気持ちでいっぱいである。半数以上が父親となり、家族や仕事のかたわら、よく足を運んでくれた。東京以外の遠方より駆けつけてくれた。その魅力はサッカーが好きなんだ、ということだけだろうか。

いまの時代。子どもも大人も「とじこもり症候群」になっている。そして心を病み、様々な社会問題が起きている。どんぐりの仲間集団は、ワイワイと言いながら人と人のつながりを大切にしてきた。グラスを片手に口泡を飛ばし、サッカーや野球の話に熱中している。まるで子どもだ。奥さんたちも話の輪に加わり、お互いの子育てを交流している。その中から、子育ての共有もあることだろう。「木の実子ども会」の子育てのねらいが今も伝えられている思いがする(いっそのこと木の実子ども会パート2をつくったらいいのに・・・)。このような人間関係がいまの社会のなかでは”称賛”に値すると考えている。
みんなが、いい顔でボールを追いかけ、いい顔で酒を呑む。これがなんとも愉快で素敵だ。
若い衆との元気な語らいから、私はそのエネルギーをもらい「青春おやじ」としてこの20年間がんばれたと思う。
みなさん、ありがとう!

どんぐりころころ、20周年。よくぞここまで・・・!

どんぐりの素敵な仲間、家族に拍手、乾杯!